東北地方太平洋沖地震

3月11日に発生した太平洋沖を震源地とする地震の被災者に対して、お亡くなりになられた方のご冥福と被災された方々へのお見舞いの意を申し上げます。 当会は現在岩手県の大学の先生でもある会員さんと青森県に実家がある会員の方々と連絡を取って、どんな形で援助が出来るのか話し合っています。

ご寄付はこちらのページからお願いいたします

なおご寄付はできれば郵貯銀行や京都中央信用金庫又はイーココロでお振り込み下さいますようお願い致します。お振り込みの時必ず「東北地方太平洋沖地震の為」と書いて下さい。京都中央信用金庫のお振り込みの場合はお振込後に必ずメールでご連絡をいただきますようお願い申し上げます。

当会は元々特に困っているチベットの子供たちの為に援助している団体ですので、今回もやはりなるべく東北で被害になった子供たちのためにも頑張り続けていきたいです。

一人でも多くの方のご支援ができますよう、緊急救援募金にご協力を、よろしくお願い申し上げます。

森田 藤子 代表

会員様から送られてきた援助物質「文房具」140サイズ6箱を岩手県と仙台の小学生に送ることが出来ました。文房具送りはもう終了になりました。

皆様から頂いたご寄付で仙台の子供たちには雨靴42足、ピアニカ40個,リコーダ60本や12ルックサックと40手提げ袋を購入し、送ることが出来ました。

2011年5月25日現在 岩手県の被災を受けた山田南小学校に34名分の算数セット、れんらく帳を入れる袋、ねんどセット、ねんど版とお道具箱を皆様のご寄付で購入し、送ることが出来ました。
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岩手県の山田南小学校と岩手県大槌町の吉里小学校の校長先生からお礼のはがきが届きました。

yamadaminami        furusatogako

☆今回は岩手県の吉里小学校にいろんな種類の画用紙を頼まれたが、東北の為現在資金不足の為すぐに頼まれたものを送ることが出来ません。約35000円が必要ので、どなたが手を差し伸べていただけませんでしようか、宜しくお願いいたします。☆お陰様で必要に資金を集められ、種類の画用紙を岩手県の吉里小学校に贈ることが出来ました。皆様に大変感謝しています。2011年6月17日

岩手県山田南小学校の生徒たちにはこれからも色々なものが必要になると思いますから、援助を続けられる為是非れからも暖かい援助をお願い致します。

ご寄付はこれからもどうこ宜しくお願いいたします。

青森の方から次の文書が届きました。
"揺れ始めた時は両親と八戸の実家にいました。地震が来るとすぐストーブを止めました。また地震の後には断水することが多いので、慌てて水をポリタンクやバケツ、鍋にためました。私は今までも十勝沖地震や三陸沖地震など、震度6以上の大きな地震を経験していますが、これまでにない長い揺れでした。しかも大きな揺れの余震が間を置かず次から次と来ました。
両親は「八十年生きて来て、こんなのは初めてだ」と言いました。 。未曽有の災害に対して、一人でも多くの方のご支援ができますよう、緊急救援募金にご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。少しすると避難指示と大津波警報が発令されました。
私の家は海から近い場所にはありますが、岩盤の上に立っているため地盤は強く、地震の際は比較的揺れにくいです。
また少し高台なので、津波も来にくい場所です。
うちの隣は小学校で、地域の避難場所になっています。地震と同時に停電しました。次から次と余震が来るため、ストーブをつけては消すの繰り返しでした。
電気が来ないので、暗くなってからは仏壇から蝋燭を持って来てつけました。両親は寒さとたび重なる余震で一睡も出来なかったようです。津波は家から徒歩3分のところまで来ました。
いか釣り漁船が道路に打ち上げられて道路を塞ぎ、建物は壊れてひっくり返っています。流された車が家を壊して侵入したり、多くの知り合いの家が壊されました。近くの魚市場には流された車や小屋、コンテナが散乱していました。
津波が押し寄せたところに近づくと、魚の血がついたところが腐敗したようなにおいと磯のにおいが混じったような異様なにおいが鼻をつきます。
私の隣の家の人は会社を見に行ったら、会社の建物自体が流されて跡形もなくなっていたようです。知り合いの船もどこかへ消えてしまいました。海のすぐ近くは壊滅状態です。すべてが原型をとどめていません。今朝やっと公共ライフラインが回復しました。うちは都市ガスでなくプロパンガスなので調理は出来ました。地震の前日、急に海が見たくなり、海のところを歩いたばかりだったので、もしその日だったら、私も津波に呑まれて行方不明になるところでした。 近くの商店が開かないため、家にある食べ物を食い潰しています。
うちには運転免許を持っている人が誰もいないため、どこへも行かれず困っています。今ある食糧が尽きれば、大変なことになります。 宮城県気仙沼近くの海岸地帯、千葉県海岸地帯に住んでいる親戚と連絡が取れません。とにかく家のすぐ近くから地獄のような光景です。 今不足しているのは食料や医薬品、毛布だと思います。
こちらは夜零下ですが、ストーブの石油のストックが尽きた家や、電気も使用するストーブなのに停電している家の人は寒い思いをしています。
避難所のストーブの石油が尽きそうなところもあるようです。
停電しているためと余震が心配のため夜は暖房なしです。
私は零下でも寝られますが、両親は寒さのために熟睡出来ないと言っています。
家がある人でさえそうです。お歳暮などにもらって使わず余っている毛布やカイロがあれば寄贈して欲しい人達がたくさんいると思います。
また避難所にいる人が床に直接寝ないための段ボールも不足しているはずです。
風邪を引いた人も少なくないと思いますし、避難所では風邪のうつし合いになりかねないため、風邪薬やマスクも欲しい人がいると思います。
とにかくみんな寒さに困っています。
これ以上寒さが続けば、疲労凍死する人が出るはずです。"
0様より 2011.3.15に届いたメール 青森県や岩手県北は津波の被害はひどいですが、津波をかぶらないところは棚から物が落ちた程度で済んでいます。私の家も建物の損傷はありません。その地域余力が生命線です。市営バスが運行を始めたので買い物に行きました。
燃料節約のため休日ダイヤでの運行です。ガソリンスタンドの中にはガソリンが底をついたところも少なくありません。
スーパーではみんな殺気立っており、何度か突き飛ばされたりカートを当てられたりしました。そのスーパーに電池の在庫は少しだけありましたが、単1は切れていました。
年配の方が「大きな電池はどこ?!」と叫びながらパニックを起こしていました。
私は「単1ですか?」と尋ねました。「そんな難しいこと言われてもわからないよ!
とにかく一番大きな電池だよ!どこ?!」「品切れですね」「うちの懐中電灯はその電池しか使えないのに品切れなんて!ろうそくもなくなったし、次停電したら真っ暗だよ!」私は懐中電灯の在庫をさがしてあげましたが、やはり売り切れてありませんでした。私は常温で保存のきく野菜を中心ににんじん、玉ねぎ、じゃがいもなどを購入しました。様々な食べ物が品薄でした。レジは長蛇の列です。レジで私の前に並んでいる人が真っ青な顔で「私は地下(その店の食料品売り場は地下)にいると怖いの。
早く地上に行きたい。怖い!助けて!」と言いガタガタ震えていました。
みんなパニックぎみになっています。こういう時は噂に弱くなってしまう可能性があります。今日は暴風警報が出ていて、台風並みの風でした。
津波をかぶった浜の方は多少片付けが済んだようでしたが、歩いているとむせました。浜の方は古い建物が多いです。よく見ると建物から石綿らしきものが露出しています。瓦礫を片付ける際、みんな大量に石綿を吸い込む可能性があります。
石綿は発ガン性物質なので、みんな気付かないかもしれませんが、実は瓦礫に近づいたり片付けたりする行為自体危険な可能性があります。風邪のうつし合いを防ぐためだけでなく、石綿を吸い込まないためにも被災地にはマスクが必要だと思いました。中心街から戻るため家の方向に行くバスに乗り込もうとしたところ、「津波警報が出たので、次のバス停で打ち切りします」と言われました。
私の家は海の近くの街で、バスは河口および津波の危険地帯を通らないとなりません。
打ち切りは仕方ありません。最悪の場合は2時間も歩くと帰宅出来ます。
歩いて帰ろうとしたところ、福島第一原発3号機が爆発したとの放送が入りました。
長時間外にいるのは危険です。私はタクシーを停めました。鮫までお願いします」
「えっ、鮫ですか!津波警報が出ていますが…」「新井田から旭ヶ丘に抜けて岬台団地を経由すれば、だいぶ遠回りになりますが高い所しか通りません。遠回りでいいですので鮫までお願いします。鮫は高台で降ろしてくれてもかまいません!」
運転手さんは最初乗車拒否しようとしたようですが、私の方から遠回りでいいと言ったので乗せてくれました。このルートだと唯一怖いのは川を渡ることです。
ただし河口ではないため、運悪く橋を渡っている最中に津波が来ない限り逃げられます。川はかなり増水していました。橋を渡っている間、おしゃべりしている運転手さんの声は震えていました。結局四千円以上かかりましたが仕方ありません。
津波は誤報だったようですが、今日は台風並に海が荒れており、津波警報が出た時間は高潮でした。被災地はパニックを起こしやすくなっているため、津波に見えてしまったのかもしれません。疑心暗鬼になりやすくなっていると思います。今日はやたら救急車の音が聞こえました。
みんな参っていると思います。東通村の原発と六ヶ所村の核リサイクル燃料施設から安全宣言が出ないため、みんな恐怖にかられています。三陸はるか沖地震の際、核リサイクル燃料施設の延長線上の海岸に2メートルの段差が出来、施設が活断層の上に出来ていたことがわかりました。しかもその事実を直後に起きた阪神大震災や地下鉄サリン事件でうやむやにしたのです。すでに前科があるため、青森県人は県内の核施設を全く信用していず、今回も「実は福島原発騒ぎにまぎれて何かを隠蔽していてもおかしくない」と疑っているのです。知らない間に被曝していてもおかしくないという恐怖にかられています。今電気不足なだけでなくガス不足です。
日本人はやたら風呂に入りたがりますが、それをやめて3日に1度のシャワーにしただけでだいぶ水やガスが節約出来ると思います。被災していない地域でも"朝シャン"はやめて欲しいと思います。いとこが宮城県の牡鹿半島にいるのですが、全く連絡が取れません。八戸市南郷区では簡易水道の水が濁ったことから水道の使用を停止し、給水車による配給に切り替えています。 0様より
3月15日父のかわりに買い物に行きました。スーパーは見たことないくらい人があふれていました。米、パン、インスタントラーメンは売り切れでした。スパゲティや乾麺も残り少なくなっていました。
野菜や果物もほとんどありませんでしたが、なぜかさつまいもだけ誰も買わないのか山積みになってしまいました。八戸市は工業と水産業が盛んな港町で、水揚げ高が全国一位になったこともあります。多くの水産加工会社がありますが、そのほとんどは海沿いにあるため、津波の被害を受けてしまいました。海産物売り場を見ると、震災前に仕入れた、建物が波にさらわれてしまった会社の冷凍食品も並んでいます。飛ぶように売れていたのが南部せんべいです。青森県の太平洋側である南部地方の人(日本海側は津軽地方)は南部せんべいを普段でも切らしません。スーパーの菓子売り場の半分は南部せんべい売り場です。おやつに食べるだけでなく、赤飯を挟んだり、おかずを乗せて一緒に食べたりします。そのまま食べるせんべいの他に、鍋に入れて煮込んだり味噌汁の具にしたりするせんべい汁用のせんべいもあります。南部人は最悪お米やパンが手に入らないと、南部せんべいを主食にします。家において米やパンの在庫が尽きたのに買い損ねた人は南部せんべいを買っていました。また南部せんべいは日持ちがするため保存食にもなります。改めて南部せんべいを見直しました。また米もパンも尽きた人の中には、すいとんを食べている人もいます。ただ南部せんべいもすいとんも小麦粉の在庫がある間のものです。小麦粉の在庫の尽きたスーパーも少なくありません。そのへんから「○○さんは家が津波に流されてもうないんだってよ」「△△さんは仙台の息子さんと全く連絡が取れないってずっと泣いてるよ」という立ち話の声が聞こえて来ます。携帯電話を取るなり「えっ!津波で亡くなったって本当?」と声を上げている人もいるした。仙台に住んでいる父の知り合いにやっとで電話が通じました。
津波が家から約500メートルのところまで来たので、もうダメかと思ったようです。家の近くの海は死体だらけで恐ろしい光景とのことです。あと数日すると海に浮いている死体が腐敗してふくれ上がり、今以上に異臭を放つはずです。その光景を見たことが一生のトラウマになり、精神を病む人もいるはずです。事態がある程度落ち着いた後は、カウンセリングをするなど心理的なケアも必要になるでしょう。仙台は今まで津波のないところなので、仙台の人達は地震直後にすぐ逃げる癖がなかったようです。また高い防波堤をいくつも築くなど津波対策をしている地域の人達は、つい油断をしてしまったようです。いつも津波が襲うのに、津波を防ぐ設備不十分な場所の人はすぐ逃げたので、逆に被害が少なかったようです。地震から津波まで約30分はあるため、すぐ逃げた人は結構助かっているのです。父母は誰かから心配の電話が来るたびに「戦時中を思い出した」「戦時中に逆戻りだ」と言います。また母は「こんなにみんなが血眼になって買い占めているのは、オイル・ショックのトイレット・ペーパー以来だ」と言っていました。隣の家の人が賞味期限の過ぎたパンをたくさん持って来てくれました。米の在庫が底をつきそうなので助かりました。
知り合いがスーパーに勤めており、停電で店を閉めている間に賞味期限の過ぎてしまったパンが大量に出てしまい、それを持って来てくれたようです。ところが食べきれないため、おすそわけということで持って来てくれたのです。食料不足にかかわらず賞味期限の過ぎたものを律儀に捨てている日本人は何なんだろうと思いました。古いお米でもかまわないので被災地に運んで欲しいと思います。
腐らない限り"賞味期限"などと言ってられません。日本人のことなので、これだけの非常事態になってもまだ賞味期限を気にしている可能性があります。0様より
3月17日母が昨日また慌てて病院に行きました。
震災後休日ダイヤとは言えいったん復旧した八戸市営バスがガソリン不足のため全面運休するかもしれないと通達を出しました。バスが通らなくなる前に病院に行っておきたいと思ったようです。ガソリンスタンドは一軒また一軒と閉まっていきます。量や金額を制限して経営していたガソリンスタンドも限界のようです。救急車や消防車などに給油するガソリン分はどうにか取っておいているようですが。みんなガソリンがあるうちに食料の買いだめに走りました。バスに運休されると、車のない人は買い物や病院に行けなくなります。車のある人も移動は車にガソリンのある間だけとなります。
買いだめはよくないとわかっていても、バス運休の知らせを聞くとみんな買いだめに走ったようです。
都会と違い、商店が家から歩いてすぐのところにない人も少なくありません。八戸は港町なので坂が多く、自転車の移動がしにくいところも多いのです。覚悟して遠方まで歩くとしても、吹雪の日が続けばやはり躊躇するでしょう。そうなるとある程度は食料をストックしておかなければ、ということになってしまいます。結局今日から市営バスは12時から16時までは休み、19時で終了することになりました。それもいつまで続くかわからないのです。八戸漁港では震災後初せりが行われました。
津波の際に沖に避難していた漁船が積んでいたスケソウダラです。
ところが買おうとする人はほとんどいず、普段よりだいぶ安い値段で取り引きされたようです。因はガソリン不足で購入しても流通に乗せられる手段がないからです。 ガソリンが入って来ない限りみんなの買いだめは避けられません。また家の石油が尽きれば零下の生活を強いられます。青森県知事も政府にガソリンおよび石油援助を要請しました。ガソリンがなければクレーンを使った港の復興作業も進みません。 今牛乳が不足しているのに関わらず、乳牛を飼っている農家では毎日大量の牛乳を捨てています。ガソリン不足のためしぼった牛乳を流通に乗せることが出来ないのです。毎日乳をしぼらないと乳牛は乳を出さなくなります。それで乳を毎日絞っては廃棄せざるを得ません。
港や空港に届いた援助物資も運ぶことが出来ません。 両親と彼岸の墓参りをどうするかという話になりました。
私の家から墓地およびお寺に行くバスは一日数回しかありません。午後は4時までバスの運行を停止するとなると、午前中に家に戻るのは不可能です。タクシーもガソリン不足でほとんど走っていないはずです。
結局ガソリンが届いてから改めて墓参りに行くしかないということになりました。 六ヶ所村の核燃料リサイクル施設では、2つある使用済み核燃料プール冷却装置のうち、1つが故障しているようです。
安全だと言われても不安でなりません。ちなみに六ヶ所村から私の家は30キロちょっと離れています。もし福島第一原発のようなことが起きても、室内待機するしかありません。私達の方では各家庭に石油タンクがあるため、津波をかぶらない家は当面のストックがあります。ある家では避難所から家に戻ったところ、石油タンクから石油が盗まれて空になっていたそうです。今ガソリンとともに石油が入ってこないため貴重です。ガソリン泥棒や石油泥棒はもってのほかです。 、震災後便秘している人は少なくないようです。震災の前日突然水族館に行きたくなり、帰りに蕪島のところを歩きました。
蕪島は八戸の画面で繰り返し出て来るうみねこ繁殖地の島です。上には厳島神社があります。
実はその時も地震があり津波警報が出たようですが(今考えると前震?)気がつかず歩いていました。しかも海に沿って歩いていました。それが小さい頃から生まれ育った美しい海辺の景色の見納めでした。0様より
2011年3月18日

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もう震災から一週間も経っているため、瓦礫はだいぶ片付きました。
この写真は津波をかぶった第一魚市場近辺です。
八戸は魚市場が第一から第三まであり、私の家の近くには第一魚市場があります。
第一魚市場が歴史的に最も古く、八戸の市場と言えば元々こちらでした。
その後第二魚市場や第三魚市場が埋め立て地に建設され、魚市場の中心はそちらへ移り、第一魚市場は使用されなくなりました。
今回第一魚市場は使用されていなかったため被害が一番少なかったのです。それで震災後の水揚げはまず第一魚市場にすることにしたのです。そのため第一魚市場近辺の整備は一番最初になされました。まだまだ瓦礫だらけではありますが、だいぶ片付きました。
道路を覆っていたヘドロのようなものもなくなり、道に散乱していた車やコンテナも片付きました。逆に言うと一週間朝から晩まで片付け続けた結果まだこうなのです。人のいない場所を狙ってシャッターを押しました。
やはり人目のあるところでシャッターを押すことははばかられます。これ以上海に近づくと余震の津波が怖いです。
片付けをする人も、その恐怖と戦っています。O様より
2011年3月31日
スーパーはまだまだ物不足ではありますが、贅沢や選り好みさえしなければお腹を満たす程度のものはそろうようになりました。牛乳、ヨーグルト、納豆、、豆腐、もやし、牛肉などは品薄です。今まで見たことないメーカーのものがたくさん入っていますが、流通が滞っているので仕方ありません。秋田県のものが飛躍的に増加しています。福島産の生鮮食品を見かけなくなっています。たとえば会津産なら全く問題にならないでずが、ありません。
八戸から流された船が宮城県で見つかったらしいですが、そこまで流されていたのです。港では沈んだ車や漁船の引き揚げが盛んに行われています。岩手県や宮城県の港にくらべると八戸港はまだ被害が少ない方なので、少しでも早く整備して岩手県や宮城県へ向けての物流に役立てなくてはなりません。
石原東京都知事が今年は花見をひかえろと言いますが、それもケースバイケースです。気分がふさぎ込んでいるからこそ、美しい花で景気付けも必要です。東北の酒とつまみで宴会ブームということなら東北人も文句を言わないと思います。たとえば東京の有名な花見の名所に被災地の出店を出して、東北のお酒や弁当、おつまみ、物産などを売り、儲けは被災地に寄付するとした方が花見をひかえられるより東北人としてははるかにいいと思います。東北でもあまり被災していない場所からどんどん観光に行って欲しいです。
以前豊岡の九割が水に沈んだ直後に豊岡の人が言っていました。「被災地の人に悪いから観光をひかえるというのはやめて欲しい。被災地の人間のことを思うなら、どんどん来てお金を落として欲しい。その方が早く復興出来る」それは大事なことだと思います。
お金の流れで経済が活性化するのは必要なことです。東北ではたいして被災していない場所でも経済は停滞しています。まず立ち直れる街から立ち直り、余力でその周りも復興するというようになればいいと思います。
会社が津波で流された人や船が破損した人は少なくありません。そろそろ支援物資に偏りが生じているため、物資援助より義援金援助の方がいいと思います。避難所によっては中途半端に余っている物資も出ています。状況を把握している組織が義援金から必要物資を購入して配布した方がいい頃でしょう。O様より